社会の各分野における原則についての聖書の学びの一例

政治
私の聖書では申命記1:9-18は政治を示す紫色がつけられています。この箇所は全て政治について言及されています。私は13、14、17節に下線を引いたのですが、それはモーセがこの箇所で明らかに政治についての原則を述べているからです。「あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人々を出しなさい。彼らを、あなたがたのかしらとして立てよう」(申命記1:13)。

つまり、代表制を採用しているという事です。どの部族にもその部族を代表する人がいたわけですが、その人を選出するプロセスが存在していたのです。どの部族も誰を代表者として送るかは自分たちで決める事ができました。モーセは14節で民にこう確認しています。「すると、あなたがたは私に答えて、『あなたが、しようと言われることは良い』と言った。」これを現代の政治用語に置き換えるなら、モーセはコンセンサスを得たという事です。治められる事を拒む人々を治める事はできません。しかし、代表者たちを選ぶ事については合意があったのです。これは民主主義でしょうか。いいえ、違います。代表者を選び、合意に達するには様々な政治的な形態があります。どのような形態を取るにしても、敬虔な政治機構を築くには、これら2つの要素が不可欠です。
モーセは16、17節で、律法と司法制度について述べています。「またそのとき、私はあなたがたのさばきつかさたちに命じて言った。『あなたがたの身内の者たちの間の事をよく聞きなさい。ある人と身内の者たちとの間、また在留異国人との間を正しくさばきなさい。さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。身分の低い人にも高い人にもみな、同じように聞かなければならない。... あなたがたにとってむずかしすぎる事は、私のところに持って来なさい。私がそれを聞こう。』」
モーセは律法について何を述べているのでしょうか。裁きをする時(人種、肌の色、信条などのゆえに)偏見をもってはならないと述べています。上告する制度も用意され、裁きが総合的になされ、大きな事でも小さな事でも正義に基づいてなされるべきであると示されています。これらの政治的な原則について私たちは教え、取り組むべきです。これらは政治について神が意図された事に根ざしているからです。

経済
申命記15:1-10に移ると、私の聖書にはお金を示す緑色がつけられています。経済の事だけに集中して申命記を読み通していた時、私は驚きました!そこに示されている原則は文化を超えて当てはまるからです。何が機能し、何が機能しないのかという基本的なところまで示しています。いわゆるキリスト教国と呼ばれる私たちが、神の方法からどの点で反れていってしまったかを明確に示しています。それらの原則は私たちに光と洞察を与えてくれます。いくつかの箇所を挙げる事ができますが、ここでは1、4、6、8節に焦点を絞りたいと思います。
1節にはこう書かれています。「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。」
これはどういう意味でしょうか。それは、人々が無期限に負債を負ったままでいるような経済的な制度はあってはならないという事です。お金を貸す人も、借りる人も、その負債を7年目になる前にどのように返済するかを考える必要がありました。ここでは詳しくは見ませんが、50年ごとになされたヨベルもありました。神の経済においては、人々がいつまでも負債を負い続けなくてもよいようにする事はとても重要な事でした。
4節にはこう書かれています。「そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。」
目標は貧しい人がいなくなる事でした。ここでモーセは政治の指導者に対して語っているのではありません。イスラエルの民全体に向かって話したのです。モーセは民全体に向かって「貧しい人が存在してはならない」と語ったのです。それは政府の責任ではなく、社会全体の責任なのです。
6節にはこう続けられています。「あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない。」
主はイスラエルの民にこう言われました。「あなたがたは自分たちの地において、わたしがあなたがたの必要を満たすことを信頼しなさい。わたしがあなたがたを大いに祝福し、あなたがたは富むようになるので、他の国々を惜しみなく助けることになるであろう。しかし、あなたがたが他の国々からお金を求めてはならない。もしもっと欲しいのなら、わたしのところに来なさい。あなたがたは、わたしが与えた地において、必要を満たす方法を見出さなければならない。」それは経済的な祝福だけでなく、個人的な鍛錬も必要とされる事でした。
8節にはこう書かれています。「進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。」
主は貸す事について反対してはおられません。どのような場合に利息をつけて良いか、どのような場合はつけてはいけないかについてさえ述べておられます。主はイスラエルの民が貧しい人々に貸す事を求めておられました。制限を設けた上で、他の国々にも貸す事を求められました。そして貧しい人たちに貸す時は、その人たちが7年間で返す事のできる分、あるいは7年経った後に彼らに「与える」事のできる分を貸すようにと言われたのでした。

科学、技術、健康
申命記23章は面白い章で、私のお気に入りの一つです。この箇所はクリスチャンのグリーティングカードに使われる事は決してありません。しかし、人々がこの原則を理解していないのを見る時、彼らがこの章を読んだ事があれば良かったのにと私はいつも感じます。
12-14節にはこう書かれています。「また、陣営の外に一つの場所を設け、そこへ出て行って用をたすようにしなければならない。武器とともに小さなくわを持ち、外でかがむときは、それで穴を掘り、用をたしてから、排泄物をおおわなければならない。」そして、神はこう言われます。「あなたの神、主が、あなたを救い出し、敵をあなたに渡すために、あなたの陣営の中を歩まれるからである。」
これは思い描きやすい箇所です。私たちの神、主が排泄物が覆われて小さく凸凹したところをつま先立って歩かれるのです!なぜこんな事が書かれているのでしょうか。それは、神がそのような事にも心を留めておられるからです。これは自然の法則に関する事なのです。実際、科学や公衆衛生について考えて読むと(私の聖書にはそのような箇所に青色がついています)、健康、衛生、地域を清潔に保つ事についての箇所がたくさんある事に気づきます。多くの箇所では、汚れている事と罪とが関連しています。イスラエルの民は「かびに触れたとき」から「祭司が血に触れたとき」に至るまで、あらゆる時に身を清める必要がありました。さて、考えてみると、これはささげ物をささげる時の話です!祭司はどれだけ頻繁に血に触れる事になるでしょうか。もし神殿で仕えるなら、毎日触れる事になります。汚れていると見なされ、その度に宿営の外に出て身を清めなければならないものを全て考えるなら、あなたもこう思うでしょう。「そうか、神が汚れていると言われているものは汚いものということなのか。だから、何度もからだを洗わなければならないのだ!」私たちの先祖たちは「清い事は敬虔な事と関係するのだ」と言いましたが、私たちは「昔の人たちは無垢な人たちだったのだな。今の私たちは、神はもっと重要な事に関心を抱いておられると知っている」と考えます。しかし、そうではないのです。彼らは「見なさい、神は私たちの陣営の中におられるのだ!」と言っているのです。
清くありなさい。あなたの地は清くなければならない。あなたの町は清くなければならない。あなたの体は清くなければならない。神は、人々が細菌という概念を理解する前に、既に細菌について教えておられたのです。おそらく医者の人が見れば、このような箇所に書かれている事はどれも細菌が伝染していく事について述べているという事を見出すでしょう。難民キャンプでこのような事が起こっているのを私たちは知っています。石鹸がなく、水が汚れているために多くの人たちが死んでいます。神はこう言っておられるのです。「これらの事は私の栄光を現さない。私はあなたがたに健康を与えたいのだ。これらの健康に関する律法に従いなさい。それは律法自体に神秘的な力があるからではなく、私が創造した物質界の自然法則にそった事だからである。」神は、イスラエルの民が地上の全ての国民よりも何千年も先を行くようにされただけなのです。

全ての分野における知恵
申命記の全体像を見るなら、様々な分野に言及されているのが分かります。ミニストリーに携わっている人たちも心配する必要はありません。この書の46%は、神への奉仕について述べています。しかし次に多く言及されているのは政治と軍隊についてです。申命記の25%は政治に関する律法と民を守るための軍隊を組織立てる事についてです。芸術は6%で、家族については約6.5%です。経済は6%、健康と衛生については4%、教育が2.5%、自然についてが2.5%です。そしてコミュニケーションについてが1%です。あるいは、この書全体がコミュニケーションに関する事だと考えれば100%です!律法全体が全ての分野と関係しているのです。

ジム・スタイア他編 His Kingdom Come: An Integrated Approach to Discipling the Nations and Fulfilling the Great Commission (Seattle: YWAM Publishing, 2008) ランダ・コープ著 “Old Testament Template for Discipling Nations”より抜粋したものです。

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