主よ、祈ることを教えて下さい

イエスが弟子たちに教えた祈りに従い、具体的な方法で主の御国が到来するよう、また主の御心が行われるよう祈っていきます。天の父の御心に従って、子供たちが奴隷生活やエイズから解放されるよう、神の御名が西側諸国でも中東でもあがめられるよう、また食糧や水のない何百万もの人々に日々の糧が与えられるよう、民族虐殺や何世代にもわたる憎悪の代わりに赦しがあたえられるよう、その他多くの世界の必要のために、祈っていきます。お祈りするときに、マタイの6章とルカの11章を読み、主の祈りを黙想するようお勧めします。

世界中のクリスチャンが2000年もの間、主の祈りを祈ってきました。個人的に祈ることもありますが、この祈りは共同体に根ざした祈りです。「我らの父よ」に始まり、この祈りは一人でなく複数の人々の祈りであり、自分だけでなく他者の必要のためにも祈る祈りです。
共同体で祈る祈りはイエスの教えやたとえとも一貫しています。私たちは自分と同様に他者を愛すべきであり(マタイ22:36-40)、自分の利益だけでなく他人の利益を求めるべきであり、キリストと同じ態度をもつべきです(ピリピ2:1-8)。また、私たちの「小さき者」にした親切はイエスにしたことです、とも主はおっしゃいました(マタイ25:31-46)。ですから、主の祈りを使って主の愛する世界の人々のために祈るのはふさわしいことです。

望みはあるのでしょうか?
私たちが世界で起こっている不正や残酷なこと、無力な人や病人の苦しみや飢餓などの問題の多さに目を向けると、とても解決できはしないと希望を失いそうになります。私たちは本当に何かを変えることができるのでしょうか?
主の祈りは私たちにある見方を提示しています。私たちは完全に主に依存して祈ります。そして主ご自身がこの堕落した世界に正義、平和、喜びという御国を前進させるために責任を持っておられることを確信します。神のみが私たちの願っていることをなしうる唯一の方です。私たちに問題を見せるとき、主は、「ここにこんな問題がありますから、これを解決してください」と言っているのではないのです。「これが私の取り組んでいる問題ですから、私についてきてください」と言っているのです。主に従うひとつの方法は神の祈りを祈ることであり、主が抑圧され、失われ、拒絶され、苦しんでいる人々のために祈る祈りに参加することです。
今年も、私たちは希望を持って祈ります。神は傷ついた人を救う憐れみを持っており、失われた人を探し出す力を持っているからです。どうぞたくさんの信者と共に、この壊れた世界に神のあがないと癒し、変革がおこるようお祈りください。
「主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。」1歴代 29:11

天にいます私たちの父よ。
御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行われるように
地でも行われますように。
私たちの日ごとの糧を
きょうも与えてください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある
人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、
悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえに
あなたのものだからです。アーメン
マタイ 6:9-13

2006年のダイアリーより

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