デボーションを持つ心得

私達は、毎日の生活において、神様と二人きりの時を持ち、御言葉に心を向け、主を賛美し、その中で自らが主にあって新しく造り変えられ、回復させられることの重大さ、それが不可欠なのを心得ています。それなのになぜ、日々の生活の中でそのような主との静かな時を見つけるのが、時に不可能と思われるほど困難なのでしょうか。

静思の時を持つ動機
静思の時を持つとき、時として私達の動機が神のそれとかみ合っていないことがあります。私達はよく、静思の時に臨むにあたり、自分自身や又は自分の愛する者のための、様々な必要や心配事を長いリストにして、神の御前で読み上げていませんか。しかし私達の静思の時の中心は、罪の告白とその悔い改め、神を礼拝すること、聖書を読むこと、敵の攻撃を打ち破ること、失われた者のための心からの祈りでなければいけません。その一つ一つに時間制限を設け、時は残り少ないのですから、無意味にだらだら時間をかけている暇はありません。これこそが神が私達クリスチャンに求められる静思の時ではないでしょうか。
クリスチャン生活は、「関係」から成ります。回復された神との関係、又人間同士の関係です。私達が自分の罪を悔い改め、信仰によってイエス・キリストを人生に受け入れた時、神は私達の罪を許し、神との関係を修復してくださいます。神は私達クリスチャンだけに、この世を救う重荷を負わせたりはしません。この世に救い主、贖い主は一人しかいないからです。キリストの十字架に目を向けましょう。ですから、私達の動機は、愛の神の内におられる、御子のそれと同じでなければなりません。このことは、1. 神との正しい関係を持つこと−神と私たちの間に、いかなる罪をも許さない、2. 神の御声を聞くこと−心を静め、自分の全てを主の御前に差し出す、そして、3. 聖霊に導かれるままに祈ること−子供のような信仰を持つ、ことによって確立されます。

生活の中での優先順
今世紀末に生きる私たちの生活は、歴史上のどの時点のものとも比べ物にならない程、発展しています。情報技術は、地球上のどこへでも一日で行けることを可能にし、また、インターネットでは想像もつかない の情報を無限に入手することができます。これらの技術が私たちの生活をより簡単にし、時間の節約をしてくれるはずなら、なぜ現実に私たちの生活は今までになく時間に追われ、忙しいのでしょうか。21世紀を迎えるにあたり、クリスチャンが直 する大きな危険とは、毎日の日課に時間が追われ、本当に大切なものの優先順 が失われてしまうということです。最新のテレビゲームや流行の連続ドラマは、私達から時間を吸い取るだけではなく、大切な、神様と過ごす機会をも奪い取ってしまいます。時々ただ、「NO!」が言えないがために、無 に時間を過ごし、後からその意味の無さと満たされない思いに後悔することはありませんか。今こそ神様にこのような質問を投げかけるときです。
「主よ、私の生活の中で、何か霊的に乏しいもので、時間を費やしている事はありませんか?あなたと親しい交わりの時を持つ代わりに、何か意味の無いものが私の時間を無 にしてはいませんか?」

静思の時の目標
優先順 を正しく理解し、神様との時間を設けたにもかかわらず、それでもなお、静思の時に本腰が入らないという悩みをよく耳にします。ここでの問題解決ははっきりとした、現実的な目標を置くことです。私たちは各々、様々な必要を持っています。仕事のスケジュールや体の調子一つによって、身体的にも精神的にも、気が乗るときと乗らない時があるのは自然です。その時々の状況に応じて、最善を尽くせる時を見計らって、又、2、3時間はかかる祈りのリストや聖書静読の を無理やり30分や1時間で収めてしまおうとすることも、現実的な目標とは言えません。静思の時の中心は神様との深い関係作りであることを忘れないでください。ここで静思の時をより意味のあるものにするための基本的な目標を挙げてみます。

  1. 小さく始めること。静思の時を習慣化しようと、毎日の訓練を始めた人、又始めたが忙しくてなかなか時間がとれない人。10〜15分ほどを目標にしてみて下さい。 よりも毎日続けることが大切です。
  2. 自分に都合の良い時間帯を見つけてください。早朝、子供が寝静まった夜等、様々なスケジュールを考慮してください。忙しくて時間が取れなかった日があっても、気にせず明日努力しましょう。
  3. 一人になれる場所を探しましょう。なるべく邪魔が入らないところがいいでしょう。忙しい町中の公園でさえ、主はあなたと共にいてくださいます。
  4. 毎日の生活の中で犯した小さい罪も、主が示して下さるままに、一つ一つ捧げ、悔い改めましょう。それらを軽視することは、私たちの生活の中で聖霊様がなして下さる御業を妨げることとなります。
  5. 主を讃えましょう。日々の必要や心配事に追われて、私たちの創造主であられる神様の御業に感謝を捧げるのを忘れてはいけません。神はその愛の故に一人子を私たちのために遣わされた方なのです。神を誉めたたえ、喜び満たされましょう。
  6. 御言葉を読みましょう。私自身、静思の時に詩篇を読むのが大好きです。聖句を暗唱し、そのままそれが賛美につながることもあります。
  7. 現実的な祈りの目標を設けましょう。私は普 祈りのリストを作る際、心を開いて聖霊様が示されるままに、神が私に望んでおられる祈りの目標を決めていきます。自分の生活、人間関係、又召しや働きに関するものについて、一つ一つ神様の御心を待ち望んでください。
絶えず祈ること
第一テサロニケ、5章17節で、パウロは「絶えず祈りなさい。」と助言していますが、クリスチャンになって間もないころ、休みなく祈り続けるなんて...と不安に思ったことがありました。後に、パウロの言った本当の意味、「神様が望んでおられることは、私たち神の子供が、絶えず聖霊に満たされ、いつも祈れる態度を持っていること」というのが分かりました。CNN放送で、祈りの番組を組んだことがありましたが、皆さんから寄せられた祈りのリストを読み上げているうちに、その場に共にいて下さった神様の臨在と、祈りを聞いて下さっている確信が込み上げてきました。どんな状況にあっても常に祈れる態度を持つこと、これは悪魔にとっては手強い武器です。出勤の途中、バスに乗っている間に、インドのために祈ることもいいですし、家事をしながら、モロッコの失われた人々の心に触れることもできるのです。神様との深い交わりを持って、常に祈れる敏感さを身に付ければ、新聞やニュースを見るだけで、祈りの課題はいくらでも出てくるはずです。私たちの静思の時はもはや、数分の祈りと賛美の時ではなく、聖霊に導かれ、力強い祈りに満たされた、父なる神との親しい関係への出発点となるのです。

Jim Drake著
アメリカ、YWAM出版監修者
(2001年ダイアリーより)

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