民族への祈り

聖書の中に「国々」という言葉が253回出てきます。これは民族の集まりを示します。これは国を形成する民族−つまり、国を作りあげている人々の集団を意味します。
ここで、あなたに、「世界中で福音を聞いたことのない人々の集団」という概念を紹介します。これら最後の3500の福音を聞いたことのない人々−それは、地球上の人口の全体で20億人以上となるのですが−へのドアを開ける鍵を発見する為に、私達は祈り始めなければなりません。これは非常に重要な事です。
国の為または福音を聞いたことのない人々の集団の為に祈ることは小さなことではありません。もしかしたら、あなたは友達や家族の域を越えた誰か、または何かの為に祈るという可能性を考えた事さえないかもしれません。でもそうできるのです。それどころか、それは主からの命令なのです。神は私達に可能な事をするように言われました。そして、神が私達の目には不可能に見える事を引き受けて下さいます。
旧約にはとりなしの祈りの答えとして国全体が変えられた過程の例がたくさんあります。祖国から追放されて、ペルシャの王アルタシャスタの献酌官として仕えていたネヘミヤのことを考えてみましょう。彼は、エルサレムの城壁がくずされ、そこにいるユダヤ人の生き残りは非常な困難の中にあるという知らせを受けました。ユダヤ人にとって、はっきりとした希望はありませんでした。
しかしユダヤ人であるネヘミヤは、祖国の人々の代わりにとりなしをしました:「私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食をして天の神の前に祈って、言った。『ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。』」(ネヘミヤ 1:4-5)ネヘミヤは告白と悔い改めを続けました。
神は祈りを聞き入れられ、王はネヘミヤにエルサレムに戻ってその都市の壁を建て直す許可を与えました。周りの敵からの激しい反対のまん中で、その仕事は完成し、エルサレムを攻撃から守りました。追放されていたイスラエル人はエルサレムに戻ることができ、その国は再建されました。
国の為に祈る出発点として、聖書に二つの説論があります:「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地 にある人たちのために贖い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(Iテモテ2:1)また、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37-38)
さらに、全ての社会には個人の、しいては国の考えを構成する七つの基本的な領域があります。これらの「影響範囲」は、国家の方向に非常に大きな影響力を持っています。これらの領域が神に向かうように変わるには、熱心なとりなしが必要なのです:
  • 家庭と家族
  • 教会
  • 芸術と娯楽
  • 教育
  • マスコミ
  • 政府
  • ビジネス
私達に何ができるでしょうか。祈ること...定期的に祈ること...
そして信じながら祈ることです!

2001年のダイアリーより

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