神の子供としてのアイデンティティ

自分がキリストにあって何者であるかを知る事。御国をこの世に来たらせる働きは、そこから始まるのです。

奴隷としての生き方は、偽の神の子供達のものです。それは、バプテスマの川の向こう側に備えられた自由を手に入れる事無く、暗闇の王子の拷問と辱めに捕われたままの奴隷が置かれている状況です。彼は人々を惑わし、貧困と痛み、絶望の人生へとおとしめるのです。また彼らの本当のアイデンティティを永遠に封じ込めようとするのです。この悪の王子は捕われ人達に、彼らの義に飢え渇いている魂のための偽りの毒の食物を与えるのです。罪によって目隠しされている奴隷達は、自由を求めて自らが働き、自分の力で聖くなれると言う独りよがりの汚れたレンガを積み上げて、牢獄からの脱出を計ろうとしています。しかし知らない間に、彼らはレンガを積めば積む程、死刑室への歩みを進めているのです。最悪な事に、彼らは同じ暗闇の中に子孫を残し、同じ絶望と言う束縛の伝説を語り継いでいるのです。
しかし遠く離れたゴルゴダの丘に、子羊であり、獅子であるお方が、天からこの死の野営に降りて来られました。地獄の門をくぐり抜け、このお方はその暗闇の王子と真っ向から対決されたのです。三本の釘といばらの冠をもって、天の軍勢の指揮官は悪に打ち勝ち、罪と死、地獄と墓と言う破壊兵器を永遠に無効にされました。罪は彼を惑わす事は出来ず、死は彼に打ち勝たなかったのです。地獄も彼を捕まえておく事は出来ず、墓も彼を留めて置く事は出来ませんでした。それらの事の証人として、また戦士として、その方は地上から天へと引き上げられました。天がこの大切な宝を受け入れ、雷が轟く中で、地上の捕われ人は解放されたのです。それはただ救われた魂を贖うだけではなく、新しく現れた王子達に冠をかぶせるのです。その血潮によって、輝ける聖なるお方は滅び行く罪人を買い取られ、神の義人、世を治める聖徒として造り変えて下さったのです。
私達はただ単に十字架の戦士であるだけではなく、王家の末裔なのです。神の本質が私達の魂に染み渡り、思いを変革し、心を作り変え、霊を変貌させるのです。私達は神の栄光とその光を運ぶ器として造られたのです。
私達を、結婚して平和の君の王女となる美しい娘として例える方が分かり易いでしょうか。婚礼の間が整えられ、晩餐が用意され、花嫁も最後の準備にいそしんでいます。
神の子供、婚礼を迎える花嫁、王家の聖徒、神の瞳、新しく造られた者等、私達を表わす呼び名は沢山あるのですが、この内全てに言える事は、私達が神の心を掴んで離さない存在だという事です。燃える情熱を持って、神は白い馬に乗り、側近の者を従えて、この地球に帰って来られるのです!
その頃、地球上では神の民が今の暗闇の中で立ち上がり光を輝かせています。彼ら王の軍隊は、既に打ち負かされた者からこの地球を奪回し、地上での領地をどんどん増やしながら王の栄光を広めています。御父の光に整えられた神の息子達が、かつては罪の岩や裏切りのトゲ、宗教の遺物でまみれた人の心の中に隠された宝をいたる所で掘り返しています。聖霊の力で覆われ、王の長子をこの世で再現するよう任命された私達が、病人を癒し、死人を甦らせ、悪霊を追い払って行くのです。私達が奴隷から王子へと変えられる時、この世の王国も神の御国へと変えられるのです!

クリス・バロトン、「王家の者として生きる」
2006 Destiny Image Publishers. Used with permission.

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